2014年 08月 16日
串本から紀伊大島
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近大マグロをいただいたあと、大島連絡橋を通り紀伊大島へ渡ります。
連絡橋の周りにはテレビでも見たことのある、多分マグロを養殖しているリングがいくつもありました。
大島では、【トルコ記念館】へ。
明治23年(1890年)、大島樫野崎の沖合でトルコ軍艦エルトゥールル号が嵐により遭難し、当時の日本人の献身的な救助活動に大変感謝され、現在も串本町とトルコの間で親しく交流が続いているという。なんて美しい話なんでしょうね。
この施設の下には、エルトゥールル号が座礁遭難した場所があります。
見るからに岩場が浅い位置にあり、嵐で座礁というのも納得できる風景です。
この施設の前の建物でトルコアイスを食べられます。
初めて食べたのですが、モチモチしたアイス。
歯ごたえがあり、重い食感で結構お腹がふくれるアイスでした。
そしてトルコの雑貨やアクセサリーも売っていて、何とも華やかでかわいいです。
有名なブルーが基調の目玉みたいな形のアクセサリーは、他人の目が気にならなくなるという言われがあるらしく、小心者の私はw思わずブレスレットを買いました。
次に近くの【日米修好記念館】
日米修交記念館は、ペリーの黒船来航より62年前にアメリカ商船「レィディ・ワシントン号」が大島に寄港したことを記念した施設だそうです。
アメリカ船の来航は1853年にペリーが黒船で浦賀沖に来航したのが最初だと習ったはずだけど、実はその62年前に大島に来航し、ラッコの毛皮を売りに来ていたと公文書に記録されているとは驚きでした。でもこの温暖な地でラッコの毛皮は売れなかったそうですw
この【海金剛】と言われる景勝地に「レィディ・ワシントン号」という帆船が現れたのですって。
鎖国していた当時、異国の船なんて見たこともなかった人々はさぞビックリだったでしょうね。
なんだかんだとこの串本という土地は外国と縁のある場所なんですね。
そして最後に立ち寄ったのは、串本に戻り新宮方面に少し行った所にある
【橋杭岩】
すごい奇岩が連なる風景です。
この時は潮が引いて岩が地続きになっていましたが、潮が満ちていると海の中にポコポコと岩がでているんでしょうね。
このすぐ横に道の駅があり、おみやげにさんまの開きやめざしをゲット。
今回の日帰り観光はここで終了でした。
連絡橋の周りにはテレビでも見たことのある、多分マグロを養殖しているリングがいくつもありました。
大島では、【トルコ記念館】へ。
明治23年(1890年)、大島樫野崎の沖合でトルコ軍艦エルトゥールル号が嵐により遭難し、当時の日本人の献身的な救助活動に大変感謝され、現在も串本町とトルコの間で親しく交流が続いているという。なんて美しい話なんでしょうね。
この施設の下には、エルトゥールル号が座礁遭難した場所があります。
見るからに岩場が浅い位置にあり、嵐で座礁というのも納得できる風景です。
この施設の前の建物でトルコアイスを食べられます。
初めて食べたのですが、モチモチしたアイス。
歯ごたえがあり、重い食感で結構お腹がふくれるアイスでした。
そしてトルコの雑貨やアクセサリーも売っていて、何とも華やかでかわいいです。
有名なブルーが基調の目玉みたいな形のアクセサリーは、他人の目が気にならなくなるという言われがあるらしく、小心者の私はw思わずブレスレットを買いました。
次に近くの【日米修好記念館】
日米修交記念館は、ペリーの黒船来航より62年前にアメリカ商船「レィディ・ワシントン号」が大島に寄港したことを記念した施設だそうです。
アメリカ船の来航は1853年にペリーが黒船で浦賀沖に来航したのが最初だと習ったはずだけど、実はその62年前に大島に来航し、ラッコの毛皮を売りに来ていたと公文書に記録されているとは驚きでした。でもこの温暖な地でラッコの毛皮は売れなかったそうですw
この【海金剛】と言われる景勝地に「レィディ・ワシントン号」という帆船が現れたのですって。
鎖国していた当時、異国の船なんて見たこともなかった人々はさぞビックリだったでしょうね。
なんだかんだとこの串本という土地は外国と縁のある場所なんですね。
そして最後に立ち寄ったのは、串本に戻り新宮方面に少し行った所にある
【橋杭岩】
すごい奇岩が連なる風景です。
この時は潮が引いて岩が地続きになっていましたが、潮が満ちていると海の中にポコポコと岩がでているんでしょうね。
このすぐ横に道の駅があり、おみやげにさんまの開きやめざしをゲット。
今回の日帰り観光はここで終了でした。
by gy1117
| 2014-08-16 22:25
| かんさい